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Release Date: 2021.08.06

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Presentation Date: 2021.10.27

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Presentation Date: 2021.10.28

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Presentation Date: 2021.10.31

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円盤に乗る派

『ウォーターフォールを
追いかけて』

2021年
8月1日 (日) 〜10月31日 (日)

危機の処方箋としてのドラマ

円盤に乗る派の新作『ウォーターフォールを追いかけて』は、同名の戯曲に取り組みながら分断の時代におけるドラマの意義の再発見を目指す、1年間のプロジェクト。
2020年は9月から11月にかけて、オンライン上で読書会、上映会、シンポジウム、観客参加型の上演を行い、現実とフィクションの関係性を取り持つ演劇の知恵を見つめ直した。2021年は再発見された知恵を踏まえ、稽古から上演に至る時間的な厚みをイントロダクションクリエイションリクリエイションプレゼンテーションの4つのタームにわけ、上演にとどまらない演劇の豊かさの提示を試みる。
イントロダクションでは、ライターによるメンバーへのインタビューを通じて、昨年に再発見された知恵が、どのように本年の実践に落とし込まれるのかを記事で提示する。クリエイションでは、稽古場を訪れたレポーターが作成する編集物を通じて、今まさに作品が創作されていく過程をオーディオレポートで提示する。リクリエイションでは、クリエイションで生まれた上演のための方法を用いて、学生とともに危機の乗りこなし方を探求する様子をライブ配信で提示する。プレゼンテーションでは、上演を通じて、法、制度、感情、情報、権力といった、現代を取り巻くフィクショナルな概念を乗り越える新しいドラマを提示する。
依然として私たちは危機の最中にある。しかし、今や私たちは、そうした現状を打破する希望のようなものを、演劇の中に見出している。本公演で、危機に飲み込まれるのでもなく、危機を眺めやるのでもない、危機を乗りこなすためのオルタナティブな方法を提示できればと思う。

メンバー

原案 ドラマゼミメンバー(カゲヤマ気象台*片山さなみ中西空立マツモトタクロウ

カゲヤマ気象台

1988年静岡県浜松市生まれ。早稲田大学第一文学部卒。東京と浜松の二都市を拠点として活動する。 2008年に演劇プロジェクト「sons wo:」を設立。劇作・演出・音響デザインを手がける。2018年より「円盤に乗る派」に改名。2013年、『野良猫の首輪』でフェスティバル/トーキョー13公募プログラムに参加。2015年度よりセゾン文化財団ジュニア・フェロー。2017年に『シティⅢ』で第17回AAF戯曲賞大賞受賞。

片山さなみ

2020年1月まで劇団てあとろ50'に所属し、俳優、制作として活動。『うっかり!ハッピーエンド』、『夏じゃなくてお前のせい』(モミジノハナ)等に出演。現在は会社員。

中西空立

早稲田大学文学部日本語日本文学コース3年。劇団木霊3年代照明スタッフ。
2020年度劇団木霊本公演『トランス』作・演出。
言葉とアンチョビが好き。

マツモトタクロウ

早稲田大学文化構想学部卒業。matawa所属。大学進学とともに演劇活動を開始し、主に劇作・演出を手がける。中高時代より映画への関心が強く、中でも寺山修司やアレハンドロ・ホドロフスキーなどからは多大な影響を受けている。

脚本・演出 カゲヤマ気象台*

カゲヤマ気象台

1988年静岡県浜松市生まれ。早稲田大学第一文学部卒。東京と浜松の二都市を拠点として活動する。 2008年に演劇プロジェクト「sons wo:」を設立。劇作・演出・音響デザインを手がける。2018年より「円盤に乗る派」に改名。2013年、『野良猫の首輪』でフェスティバル/トーキョー13公募プログラムに参加。2015年度よりセゾン文化財団ジュニア・フェロー。2017年に『シティⅢ』で第17回AAF戯曲賞大賞受賞。

出演 小山薫子(ままごと)キヨスヨネスク立蔵葉子(青年団、梨茄子)西山真来(青年団)畠山峻*日和下駄*

小山薫子

1995年生まれ。俳優。劇団ままごとに所属し、「ツアー」「反復かつ連続」などに出演。俳優2人による劇ユニットhumunusを結成し、「海足を踏めない」「し/ま」などを創作し上演。現在は福島県富岡町での活動も行なっている。身体の存在のさせ方によって風景がより浮かび上がって見えてくる作用を、様々な場所と声・身体の関係から試行している。円盤に乗る派は「正気を保つために」「流刑地エウロパ(再演)」に出演。

キヨスヨネスク

1992年生まれ。俳優。劇ユニット「humunus」結成。声と身体の関係から、風景とそれらを構成する"空間の肌理"をいかに「うつし」「かたどる」かをテーマに活動。現在福島県富岡町に拠点を構え、リサーチと創作を行っている。
主な出演作に、KUNIO14「水の駅」、円盤に乗る派「清潔でとても明るい場所を」、ホモフィクタス「灰と,灰の灰」、humunus「海足を踏めない」など。

立蔵葉子

俳優、梨茄子主宰。所属する劇団青年団では『サンタクロース会議』『忠臣蔵・OL編』『さよならだけが人生か』などに、青年団の他には五反田団、木ノ下歌舞伎などに出演する。円盤に乗る派への出演は『正気を保つために』に続き2回目。主宰する創作用ユニット梨茄子ではパフォーマンス『この部屋の重力』『その実ができるまで』『「丁寧な生活/サヨナラ」展』を発表。日々、短歌やメールマガジンを作っている。
https://note.com/nashinasu

西山真来

京都の「象、鯨。」という劇団で作・演出をやってました。解散後は俳優として映画や演劇に出演しています。近作は映画「なんのちゃんの第二次世界大戦」「れいこいるか」「スパイの妻」や、マレビトの会「グッドモーニング」犬飼勝哉「ノーマル」モメラス「反復と循環に付随するぼんやりの冒険」などの演劇作品です。カゲヤマ作品は「幸福な島の誕生」に続いて2回目です!

畠山峻

1987年北海道札幌市生まれ。舞台芸術学院演劇部本科卒。俳優としてブルーノプロデュース、20歳の国、亜人間都市などの作品に出演。カゲヤマ気象台の作品では『おはようクラブ』『野生のカフカ@おいしいカレー』『流刑地エウロパ』などに出演。演劇ユニットpeople太では演出をしています。
https://t.co/8zLKaMfpQW?amp=1

日和下駄

1995年鳥取県生まれ。2019年より円盤に乗る派に参加。以降のすべての作品に出演。特技は料理、木登り、整理整頓、人を褒めること。人が集まって美味しいご飯を食べることが好き。下駄と美味しんぼに詳しい。

音楽・illustration AOTQ

AOTQ

絵や音楽を作ってインターネットで発表している。
https://aotq.bandcamp.com
https://aotq.net

舞台監督 鐘築隼

鐘築隼

1995年生まれ、大学中退後、一般企業に就職するも2週間余りで辞職。その後はフリーランスとして主に小劇場や小スタジオなどでの演劇公演やダンス公演の舞台監督を務める。最近では枠に囚われ過ぎない仕事のやり方を模索中。

空間設計 瀬田直樹

瀬田直樹

1995年生まれ。埼玉県出身。
大学で建築の意匠設計を専攻する。卒業後設計事務所就職。
「なりきり」をテーマに身体と空間とまちの関係性を模索。
見えるものも、見えないものも、丁寧に着目し、空間を設計していく。

舞台美術 小駒豪

小駒豪

1983年東京生まれ

演劇などの舞台美術や照明を中心に、 店舗内装など、分野問わず、 設計および、製作をやっています。

武蔵野美術大学卒業後、 飴屋法水、生西康典の現場に、主にスタッフとして関わる。 近年は、武本拓也、情熱のフラミンゴ、などの現場で照明や舞台美術を担当。

照明 みなみあかり(ACoRD)

みなみあかり

舞台照明家。ACoRD代表。舞台照明デザイナー。
遅れて迎えた思春期を謳歌している人。演劇を中心にミュージカル・バレエ、エンタメなどジャンルにとらわれず作品に光を灯す。バーチャルステージや京都劇場へも進出し、まだまだ新しい世界が見たい今日この頃。
円盤に乗る派では「清潔でとても明るい場所を」「流刑地エウロパ」などの照明デザインを担当
Twitter/Instagram:@akariMinami

照明補佐 佐伯香奈(LST)

佐伯香奈

大学在学中に舞台照明や映像照明を学ぶ。
卒業後LSTに所属しながらフリーランスに活動中。
主に小劇場やホール、イベントなどの照明オペレーションやピンスポットを扱う。

音響 カゲヤマ気象台*

カゲヤマ気象台

1988年静岡県浜松市生まれ。早稲田大学第一文学部卒。東京と浜松の二都市を拠点として活動する。 2008年に演劇プロジェクト「sons wo:」を設立。劇作・演出・音響デザインを手がける。2018年より「円盤に乗る派」に改名。2013年、『野良猫の首輪』でフェスティバル/トーキョー13公募プログラムに参加。2015年度よりセゾン文化財団ジュニア・フェロー。2017年に『シティⅢ』で第17回AAF戯曲賞大賞受賞。

衣装 蜂巣もも(グループ・野原/青年団演出部)永瀬泰生(隣屋)

蜂巣もも

1989年生まれ。京都出身。演出家。
2013年からより多くの劇作家、俳優に出会うため上京し、青年団演出部に所属。 また、庭師ジル・クレマンが『動いている庭』で提唱する新しい環境観に感銘を受け、岩井由紀子、串尾一輝、渡邊織音らと「グループ・野原」を立ち上げる。
演劇/戯曲を庭と捉え、俳優の身体や言葉が強く生きる場として舞台上の「政治」を思考し、演出を手がける。円盤に乗る派、鳥公園にも参加し、演出、創作環境のブラッシュアップをともに考える。

永瀬泰生

1995年生まれ。大阪出身。
衣裳家・俳優として活動。演劇をつくる団体「隣屋」所属。
国内外カンパニーの衣裳デザイン・製作・アシスタントなど。
舞台上でリアルタイムで作品製作をするライブソーイングや、作品に関連したグッズ製作も行う。

デザイン 大田拓未

大田拓未

1988年東京都生まれ。アートディレクター/グラフィックデザイナー。国内外でエディトリアル、音楽、ファッションなど多方面にて活動中。最近の仕事に「magazine ii(まがじんに)」アートディレクション、YOASOBI「三原色」ジャケットデザインなど。

写真 濱田晋

濱田晋

1987年 兵庫県生まれ。 主にポートレイト・ドキュメンタリー・取材の分野で撮影を行うほか、年に数回の展示と作品集の発行を継続中。
shinhamada.com

STONE編集 黒木晃

黒木晃

1988年東京都荒川区生まれ。編集者。出版プロジェクト「Curtain」編集・発行人。

ライター 住本麻子

住本麻子

1989年生まれ、福岡県出身。ライター。文芸誌やカルチャー媒体を中心に、インタビューや対談の構成、論考などを発表。企画・インタビュー・構成で関わったものにwezzyの「表現と自由」特集、構成に「飛浩隆×高山羽根子「ディストピア小説の主人公とは誰か 嫌(いや)視点の作り方」」(『文藝』2021年春季号)、論考に「傍観者とサバルタンの漫才-富岡多惠子論」(『群像』2021年7月号)などがある。

レポーター 佐藤朋子

佐藤朋子

1990年長野県生まれ、神奈川県在住。2018年東京藝術大学大学院映像研究科メディア映像専攻修了。レクチャーの形式を用いた「語り」の芸術実践を行っている。近年の活動に、《オバケ東京のためのインデックス》(シアターコモンズ, 2021-)《TWO PRIVATE ROOMS ― 往復朗読》(theca, ウェブサイト, 2020-)《MINE EXPOSURES》(個展, BIYONG POINT, 2019)《The Reversed Song, A Lecture on “Shiro-Kitsune (The White Fox)“》(2018-)など。
WEB|http://tomokosato.info/

配信映像 佐藤駿

佐藤駿

1990年生まれ。俳優・映像ディレクター。大学在学中より映画制作や出演を始める。撮影を担当した『Sugar Baby』(隈元博樹監督、2010)が水戸短編映像祭審査員奨励賞受賞。2016年ごろよりパフォーミングアーツをつくる集まりとして「犬など」をはじめる。以降、演劇などへの出演多数。身体を内側から観察する俳優と、身体を外側から観察する映像制作の間で、演じることの問題について考えている。最近の主な出演に、屋根裏ハイツ『ここは出口ではない』、円盤に乗る派『流刑地エウロパ』など。

制作統括 河野遥(ヌトミック)

河野遥

1996年生まれ。国立音楽大学音楽文化教育学科卒。ヌトミック所属。制作として所属団体のほか、小劇場を中心に活動する劇団やユニットの公演制作を複数つとめる。円盤に乗る派はこれまでに、「清潔でとても明るい場所を」「流刑地エウロパ」等に参加。

制作 金森千紘

金森千紘

1981年東京都生まれ。大学で建築を学んだ後、美術書の企画営業、ポラロイドフィルムの再生産プロジェクトに従事。現代美術のギャラリーに勤務後、現在は、フリーランスでアーティストのマネージメント、展覧会企画などをメインに活動。

当日運営 黒澤たける

黒澤たける

1990年生まれ。フリーランスの制作として商業から現代演劇まで幅広いマネジメントを行う。大学で現代ビジネスを学び、舞台芸術の制作業務に応用している。

企画 カゲヤマ気象台*日和下駄*

カゲヤマ気象台

1988年静岡県浜松市生まれ。早稲田大学第一文学部卒。東京と浜松の二都市を拠点として活動する。 2008年に演劇プロジェクト「sons wo:」を設立。劇作・演出・音響デザインを手がける。2018年より「円盤に乗る派」に改名。2013年、『野良猫の首輪』でフェスティバル/トーキョー13公募プログラムに参加。2015年度よりセゾン文化財団ジュニア・フェロー。2017年に『シティⅢ』で第17回AAF戯曲賞大賞受賞。

日和下駄

1995年鳥取県生まれ。2019年より円盤に乗る派に参加。以降のすべての作品に出演。特技は料理、木登り、整理整頓、人を褒めること。人が集まって美味しいご飯を食べることが好き。下駄と美味しんぼに詳しい。

*=円盤に乗る派プロジェクトチーム

Introduction

イントロダクション

イントロダクションでは本年の公演に参加するメンバーへのインタビュー記事を公開します。本年の公演を始めるにあたって、昨年の公演で再発見された演劇の知恵とはなんだったのか、言語化する必要を私たちは感じました。しかし対話を進める中で、再発見された知恵は、どうやら個々人によって異なることがわかってきました。本企画は、そうしたそれぞれが再発見した知恵を、改めて共有する取り組みです。インタビュアーはwezzyの「表現と自由」特集の企画を担当するなど、文芸誌やカルチャー媒体を中心に多様な活動を行っているライターの住本麻子さん。2020年から2021年へ。その線上にある未来が、おぼろげながらも確かに、それぞれの中に浮かび上がってくることを期待します。

Introduction #1

オンラインからオフラインへ、身体を立ちあげる

【衣装】蜂巣もも + 【演出】カゲヤマ気象台

Introduction #1

オンラインから
オフラインへ、
身体を立ちあげる

衣装蜂巣もも + 演出カゲヤマ気象台

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昨年の『ウォーターフォールを追いかけて』オンライン上演に引きつづき、今秋、円盤に乗る派はいよいよリアルな舞台でオフラインの上演に臨む。オンライン上演では映像はフルCG、演者は公募で集められたたくさんの人々による声だけの出演だったが、上演でありながらリーディングのような特質があり、またコロナ禍での雰囲気もなんとなく滲んでくるような公演だった。さまざまな条件の違いを越えて、どのような公演となるのか。連続インタビュー企画の第一弾として、これまで共同演出などで円盤に乗る派に関わってきた衣装の蜂巣ももと、脚本・演出のカゲヤマ気象台に話を聞いた。(聞き手:住本麻子)

オンラインからオフラインへ

   最初に『ウォーターフォールを追いかけて』を視聴したとき、これはオンラインでやる意義があるなと思って視聴したのですが、これをあえて劇場に戻すとどうなるのか気になっています。

カゲヤマそもそも『ウォーターフォールを追いかけて』という作品は昨年舞台で上演しようと思って始めた企画でした。当初、舞台での上演と昨年発表したようなウェブでの公演を同じ期間やる予定だったのですが、コロナに関係する会場の都合があって上演ができなくなったので、オンラインの方だけになったという経緯があります。元々上演することを前提として書いた戯曲なので、オンライン作品の舞台化ではないということですね。ただ結果的に、オンラインでやってもう一回考えて舞台でやるというのはブラッシュアップになるので、最終的にはいい形になったんじゃないかと思います。

   では蜂巣さんは、オンライン上演を見られてどうでしたか。

蜂巣一番おもしろく思ったのは、いろんな方の声がタームごとに録音されていることです。誰かが読んでつかんだ戯曲の印象を声にして録音している。そこにはいろんなイメージや、その方の背景が見えましたし、円盤に乗る派に対しての距離感も出てたんじゃないかなと思います。いままで円盤に乗る派を観てきた人もいれば、全然知らなかった人もいるだろう、そういう意味でも作品が広く開かれていて、その奥行きを知るような上演になっていたなと思いました。テキストのおもしろさは一回聞いただけじゃつかみきれなかったけれど、円盤に乗る派が考えるお客さんの「居方」――離れて観劇するだけじゃなくて、実は参加しても楽しいんだという部分――が見えてきたのがおもしろいなと思ったところでした。

   カゲヤマさんはやってみて、去年やってみてどうでしたか。意外だったことなどを教えてください。

カゲヤマネガティブな意味で意外だったことでいうと、送られてきた音声ファイルを開いたらエラーが起きていて録音されていないというのがわりとあって大変でした。オンラインのシステムを本格的に使って作品を発表するのが初めての経験だったので、そういった事態がうまく想定できていなかったということですね。でもポジティブな意味で意外だったのは、僕はもっと形にならないんじゃないかって思ってたんですね。それはつまり、送られてきた声の中には、単に演技としてとらえたときにあまりいい演技ではないなと思える人が正直いたりする。でも完成したものを見たら、割と受け入れられるというか、同じ場所に居れるなって思えるものになっていたのは――そうなることをもちろん期待していたし、予感はしていたんですけど――、意外だったけどよかったことですね。わりとどんなものでも受け入れられるような体勢に、聞いている側が自然になるような作品にはなっていたのかなと思っていますね。
これは知人がツイッターでつぶやいていた『ウォーターフォールを追いかけて』の感想なんですけど、「いいパーティーみたいだった」と言っていました。僕がその人と同じことをイメージしてるかわからないですけど……世の中に自分から遠い人、合わない人というのはどうしても存在しますが、日常の空間では、そういう人が喋ったりするとやっぱりちょっと心がざわざわする。だけど、あの作品はそういう違いみたいなものも含めて受け入れられる場になっていた気がして、いいパーティという表現はすごく的を射ていると思いました。どのふるまいが正しいのかというのは特に定まっていない、正しいふるまいから外れてしまうという恐怖感みたいなものも特になくその場に居られる、といったような。

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衣装、それは身体に近い演出

   『ウォーターフォールを追いかけて』のオンライン上演だと抽象的な空間が舞台でしたよね。元々オフラインで上演することが想定されていたとはいえ、そこから身体を立ちあげるというのは、これもまた一からの作業という印象を受けます。衣装は俳優さんの身体的なところになりますよね。

蜂巣「抽象的な」感覚は、カゲヤマ戯曲の特徴ですよね。役名に「鳩」や「惑星」、「ビニール袋」というのがあって、それはどこまでそのものなのかはわからない。「お前はシャツが白いから『白シャツ』」みたいな、そういうあだ名の可能性もあるし、そうじゃない可能性も十分にあるなと思っています。ただ今回実際に戯曲を読んでみて、役名は直接的に役と結びついていないように見えても、台詞からはそれぞれの役の肉感を感じるんですよね。それが遠回しに役名と結びついているのかもしれないとは思います。それぞれの役が抱えている悩みというか、モヤのようなものが、結果的に「鳩」や「惑星」、「創造主」になりうる世界へと開かれているかもしれない。 役名のおもしろさを生かした部分は入れたいと思っているんですが、「ビニール袋」だから全部ビニール袋でいいかっていったら、それじゃないような。けれど「ビニール袋」から透けて見える人物、世界は入れたい。たとえば「ビニール袋」は、どうも社会人らしいというか、黒いスーツを着た独身の男性を思い浮かべさせる……そういう感覚もあります。

   コンビニでお弁当買ってるようなイメージですかね。

蜂巣うん。自炊してなくてコンビニが毎日の行きつけ、みたいな感覚になってるような。
あと、演出としても入った経験がある身として、もう一要素足せる可能性もあるなと思ってます。
この作品が一個のまとまりとして立ちあがってくるためのきっかけに関われたらいいですね。役者の身体にすごく近い衣装という空間に対して、有機的な演出ができるかな、というような想像をしています。

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コロナ禍で変容する身体

   ちなみにここまでお二人の口からコロナというワードは出ていません。『ウォーターフォールを追いかけて』が結構コロナ禍での日常をじわっと思わせるようなものでしたけど、コロナウイルスが蔓延していて、身体性において変わるようなことはありましたか?

蜂巣これがどこまで直接的に関わってるかわからないけれど、もともと私は人に影響されるというか、人が何を考えるのか、またどういう精神状況かというのを読み取りやすい性質で。去年は緊急事態宣言など、「危機」と呼べるようなものが現れてきて、みんな動揺したしいっぱいいっぱいになったときに、それがうつるようになってきちゃったっていうか。

   コロナウイルスがじゃなくて、人の心配とか、そういうもの自体が感染していく。

蜂巣もう「気遣いできて偉いね」っていうレベルの状態じゃなくて、抱えこんじゃうというか、相手の悶々としたものが憑依してきちゃうような状態なんですよね。去年、今年も気をつけないと本当に危うい状況がありました。それは自分一人で家にいる時間が長くなったというのも一つの要因かもと思います。外から得た情報が少ないあまり、家で一人で自家生成してしまうみたいな……それはちょっと困ったなと思ってます。

カゲヤマ今の話とつながる部分もあるなと思うんですけど、コロナの前まではどちらかというと自分の身体を少し疑うというか、疑いを差し挟んでいくことが良いと思ってたんですよね。「自分の身体はこうあると思っていたけれども、どうも思ってたのと違うかもしれないぞ」と差し挟んでいくのが良い演劇と思っていた。でもコロナ以降、身体がある種、常にバグっている状態が当たり前になっているように感じます。「ソーシャルディスタンス」を取らされているわけで、普段取りたくて取っている社会的距離とは違う。自分の体感と関係なく社会的距離感を設定されてしまう状況が日常になってしまっています。だからむしろ、身体は身体としてちゃんとあるのだとか、身体がある種常識的に自然だと思われる通りのふるまいをすることの方に安心感を覚えるように段々なってきたんですよね。人と人は近づいたり離れたりするよねみたいな。

   昔はそれに疑問を差し挟んでいたのに。

カゲヤマそう。「人間が心理的な要因で近づいたり離れたりするのって本当?」って。でも最近は身体にフォーカス当てたようなコンテンポラリーな演劇がちょっとキツいと感じるようになってるんですよね。これはちょっと意外でした。

蜂巣もも

1989年生まれ。京都出身。演出家。
2013年からより多くの劇作家、俳優に出会うため上京し、青年団演出部に所属。 また、庭師ジル・クレマンが『動いている庭』で提唱する新しい環境観に感銘を受け、岩井由紀子、串尾一輝、渡邊織音らと「グループ・野原」を立ち上げる。
演劇/戯曲を庭と捉え、俳優の身体や言葉が強く生きる場として舞台上の「政治」を思考し、演出を手がける。円盤に乗る派、鳥公園にも参加し、演出、創作環境のブラッシュアップをともに考える。

カゲヤマ気象台

1988年静岡県浜松市生まれ。早稲田大学第一文学部卒。東京と浜松の二都市を拠点として活動する。 2008年に演劇プロジェクト「sons wo:」を設立。劇作・演出・音響デザインを手がける。2018年より「円盤に乗る派」に改名。2013年、『野良猫の首輪』でフェスティバル/トーキョー13公募プログラムに参加。2015年度よりセゾン文化財団ジュニア・フェロー。2017年に『シティⅢ』で第17回AAF戯曲賞大賞受賞。

Introduction #2

自分から離して演じること

【出演】キヨスヨネスク + 【出演】立蔵葉子

Introduction #2

自分から離して演じること

出演キヨスヨネスク + 出演立蔵葉子

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オンライン上演を経て、いよいよオフラインの公演を今秋に控えた円盤に乗る派『ウォーターフォールを追いかけて』。公演に先駆けて、前回は衣装を担当する蜂巣ももと脚本・演出のカゲヤマ気象台のインタビューを公開した。両氏のインタビューでは、オンラインでの経験を踏まえて戯曲をどう解釈していくか、身体をどう演出していくかの構想を聞いた。では実際に出演する俳優たちはどのように演じていこうとしているのか? 「創造主」役のキヨスヨネスクと、「先生」と「白シャツ」の二役を演じる立蔵葉子に話を聞いた。連続インタビュー企画の第二弾。(聞き手:住本麻子)

円盤に乗る派の声のあり方

   オンライン上演はどうでしたか?

立蔵すごく楽しかったです。実はわたしは昨年11月の配信は全回観ているんです。そのときは旅公演中で、ホテルと劇場を行ったり来たりという日々でした。その夜に観ていて、落ち着くなあと思いながら観ていました。

キヨス僕は、オンラインの上演は全然内容が入ってこなかったんですよ。だけど、それぞれが録った空間が録音されているという感じは受けました。それぞれの場所、室内なのか外なのか、どういう反響をする空間なのかによって環境音やノイズが変わってくるし、そういう声の外側の情報や奥行きといった空間情報が録音されて、並べられていく。なのに、それらがひとつにまとまって並べられていてもそんなに違和感がない。それがおもしろかったです。円盤に乗る派がやろうとしている演劇ってこういうことなのかなと納得する部分がありました。それぞれのプライベートな空間や状態の人の声を聞く。それも録音されている声を聞くのは、秘めごとというか、隠されているものを隠れてこっそり聞き耳を立てて聞いている感じがあって、その感じがおもしろいなと。しかも、一人の声に聞き入っていたら、また次に行っちゃう。それがいいなと思いました。
カゲヤマさん自身が音楽や人の声そのものをどう扱うかということに大きなウェイトを置いている人だと思っています。たとえ一人の人が発話しているのであっても、一人の声にならない可能性を探っていく。一人の人が演じているし、一人の人の声なんだけど、その声の中に他の複数の声の可能性を感じるような言葉と発話の方法を探っているという印象があります。演技するとき、普通は自分という主体に引きつけて喋ると思うんですけど、カゲヤマさんはむしろ「自分から離して」ということを言うんですよ。「こう言おう」と思って意識して喋るんじゃなくて、結果的に出た声で「今自分はこういうニュアンスで声を発してしまった」と事後的に確認されるようなかたちで、声を投げ出す。主体に引きつけて声を発するのは言葉の輪郭をはっきりさせていく作業な感じがするけど、それを開け放って、誰か特定の人物の声になりきらないようにする。そういうことなのかなと僕は解釈しています。

立蔵自分の体があって、その背後に自分の意識があると思うんですけど、演技するときはそのまた後方にもう一人メタ自分を設定するんですよ。俳優は結構やってると思います。客観的に自分の体と意識を見る人を設定して見ている。普段だと意識とメタ自分は離れているのですが、カゲヤマさんの演出のときは意識もメタ自分と一緒にバックしてるんです。体を野放しにして、発音するように口のかたちだけ残して伝達指示を体に出しているような感じです。

キヨス言葉には文脈があって、どういう流れで言おうか迷ったり、文節を気にしたりするんだけど、それをカゲヤマさんは文節分けしないというか、文脈を考えて言わないようにと言う。こういう言葉だったらこういう感情の流れで言おうとか考えずに、むしろ主体に引きつけて喋らないってことを言うんですよ。でもそういうつもりで喋ってても、細かいニュアンスを調整されるわけです。でも他の人がやっているのを見ていて、良いと言われている人とそうでない人の、違いがわからない。だから、その人その人で違うんだと思います。こういう声で喋れば正解ということじゃないんだと思って。たぶん大枠はあると思うんですけど。

立蔵この手順を踏めばOK、みたいなものではないかな。この正解に行くためのヒントとして、文脈を捨てようみたいなアドバイスはあるけど、最終的にいいかどうかは、現れ出たものでしかなくて、しかもその判別がむずかしい。それがカゲヤマさんが教えてくれた手順の初手でできる人もいれば、違う方法で勝手にできちゃう人もいるし、できない人もいる。だから自分でフィットする方法を探すしかないのかもしれません。

キャラクターを立てていく『ウォーターフォールを追いかけて』

   これまで出演されてきたsons wo:や円盤に乗る派と違うものになるなという感触はありますか?

立蔵今回登場人物がくっきり分かれているなという気がしています。いままでのは登場人物が複数名いても、根本的にはみんな同じ人だという印象がありました。どの役をやるにしても体の感覚的には同じ状態でいけそうな気がしていたんです。今回、わたしは「先生」と「白シャツ」の二役をやるのですが、この二役は違う体でないとできないな、と思っています。どこをどう変えるかはまだよくわかりませんが、その役用の体があるような気がしているんです。たぶん「先生」をやるときの体と「白シャツ」をやるときの体は違う状態でやるように自分でも調整すると思う。キャラクターがだいぶ違う感じで、病んだ「先生」の体のまま「白シャツ」のセリフは言えない気がする。

キヨス今回はやっぱり語尾がキャラクターごとに違ったりして、それぞれの役にキャラクターの要素がありますからね。

立蔵「先生」はずっと普通に会話していると思ったら、唐突に喋りだすんですよ。

キヨス焦燥感に駆られて喋っちゃう。いま立蔵さんが言ったように、いままでのカゲヤマさんの戯曲は役の中で交換可能な感じだったんですよね。どのセリフであっても、誰が言ってもいいんじゃないかと思わなくもなかった。だけど今回はキャラ立ちをさせる方向に行っているようです。
僕は今回「創造主」という役をやるのですが、この役のキャラクターについては模索しているところです。いままでのカゲヤマさんの演劇では演じていて体が分散していく感じがあったんですよ。バラバラにされちゃう、みたいな。『アントマン&ワスプ』という映画に「ゴースト」という女が出てくるんですけど、人間の形になったかと思ったらぶあっと分散して、というのをものすごいスピードで繰り返しているから、傍から見るとちゃんと存在しているかのように見える。つまり分子レベルの崩壊と再構成をものすごい速さで繰り返しているんです。

あれを見たときに、ちょっと感覚が似ているなと思いました。存在として形があるのに、わんわんと分散しそうになっている、という感じがちょっとあったんです。でも今回は、セリフはいまだに分散的な感じはあるのですが、それを輪郭を保ったまま、一個一個の分散的な要素に没入しろ、というようなことを言われています。だから没入してはまた違う話に没入する、みたいな。

   今までの分裂の仕方と少し変わってきたということですか?

キヨスそうですね。今回は没入しろとカゲヤマさんは言っていて、このセリフをある程度主体に引きつけるのかなと思っています。そうするとキャラの輪郭強めで、内容ごとに感情移入したりとか、いろんな記憶に基づいて情景を作っていったりとかするのかなと思っています。セリフや演出によって体が分裂的に晒される感じは今までもあったけれども、今度はテキストも一見分散的であると感じるんだけど、演出としてはキャラクター性を保つというか、没入してキャラの輪郭を強めていく。これをどうしていこうかなと考えています。

引き出しを開拓していく

   今までいろんな劇団やユニット、プロジェクトに参加されてると思います。そのなかでいろいろな経験が蓄積していっていると思うのですが、現場ごとにそれは白紙に戻していく感じですか、それとも積み上がっていく感じですか?

立蔵引き出しが増えていくみたいな感じです。前にやったものと似たような要素を見つけ出してきて、引っ張り出してくる。そこに他のものを足したり引いたり、混ぜたりしてやってみるという感じです。だけど、カゲヤマさんの演劇を初めてやったときに、今までやったのとどれとも似てなかった。わたしは並みの青年団員とか現代口語演劇の俳優より現代口語以外の引き出しの数は多いと自負していたのに、どれとも何も似ていない、なんにも使えなくてびっくりしました。引き出しはこの平面上、地面の上にあるものだと思ってたら、地中掘り出さないといけなかった。
一回やったら、ここに引き出しはあるんだということには気づいたので、他のところでまたこれを使ったりとかはできるようになったんですけど、まだこの地下の引き出しは未開拓部分がいっぱいあるんですよね。中身はまだまだ少ししかないから、今回やるにあたりまた掘っていかなきゃいけない。今まではセリフを言うために、その役がどんな仕事をしているかや今何を考えていて、最近の悩みごとは何で、といったようなことを考えて、今は誰とどういう状態でしゃべっているかという諸条件を整えてセリフを言ってたんです。書いてあることを自然に言えるように。これは他のところでは汎用性がある、どこでも使える技術だったんですけど、カゲヤマさんの劇では全然使えない。カゲヤマさんの劇は、セリフを言ってから、自分が言ったことにびっくりするというか、こんなこと言ったんだと気づく、という状態を舞台上でやれということだと思うんです。これを実際にやってみたらすごく楽しかった。

   そうなんですね。負荷がかかっていろいろ大変なのかなと思っていました。

立蔵大変だしむずかしいんですけど、事後的に自分が言ったことにびっくりするというのは楽しい体験でした。

キヨス無意識に喋るってできないじゃないですか。たとえそう言われたとしても、一瞬考える。でもそれと似たような矛盾をやってるっていうことなんだと思います。でもそれはすごくおもしろいなとは思うんですよね。たぶんその良さは外から見たときにもあるんだと思います。

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キヨスヨネスク

1992年生まれ。俳優。劇ユニット「humunus」結成。声と身体の関係から、風景とそれらを構成する"空間の肌理"をいかに「うつし」「かたどる」かをテーマに活動。現在福島県富岡町に拠点を構え、リサーチと創作を行っている。
主な出演作に、KUNIO14「水の駅」、円盤に乗る派「清潔でとても明るい場所を」、ホモフィクタス「灰と,灰の灰」、humunus「海足を踏めない」など。

立蔵葉子

俳優、梨茄子主宰。所属する劇団青年団では『サンタクロース会議』『忠臣蔵・OL編』『さよならだけが人生か』などに、青年団の他には五反田団、木ノ下歌舞伎などに出演する。円盤に乗る派への出演は『正気を保つために』に続き2回目。主宰する創作用ユニット梨茄子ではパフォーマンス『この部屋の重力』『その実ができるまで』『「丁寧な生活/サヨナラ」展』を発表。日々、短歌やメールマガジンを作っている。
https://note.com/nashinasu

Introduction #3

稽古のあり方と劇作家、俳優、演出家の不思議な関係

【出演】西山真来 + 【出演】日和下駄

Introduction #3

稽古のあり方と劇作家、俳優、演出家の不思議な関係

出演西山真来 + 出演日和下駄

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リアルな舞台での上演に向けて、『ウォーターフォールを追いかけて』の稽古も順調に進みつつある。前回は俳優のキヨスヨネスクと立蔵葉子に話を聞き、円盤に乗る派の演出の特徴について話し合った。しかし現在、『ウォーターフォールを追いかけて』独自の稽古のあり方が模索されているようだ。その稽古のあり方とはどのようなものなのか。今回は「構成員」役の西山真来と「ビニール袋」役の日和下駄に話を聞いた。連続インタビュー企画、第三弾。(聞き手:住本麻子)

オンライン上演はライバル

   オンライン上演はどうでしたか?

下駄最初は誰が声を送ってくるかわからないし、それでおもしろくなるのか疑問だったんですよ。そうしたら普通におもしろかった! でもそれも困るんですよ。一般の人に「誰もいない部屋で周りに声を聞かれないように読んでください」という指示を出してそれをつなげただけでおもしろい演劇ができちゃうなら、だったら僕はどうやっておもしろい演技をやればいいんだと思うわけです。観に来る人はきっとオンライン上演も観ている人も多いですよね、だから比較されるでしょ。「あれよりおもしろくなかったな」とは思われたくない。

西山わたしは全体を通してちゃんと観たのは今年です。で、今回役をやるにあたり台本を全文読んだときに、ぜんぜん違う物語になりましたね、って言っちゃったんですよ(笑)。実際には一つも変わってないのに。印象がすごく変わっていたんです。たぶん自分の頭の中では、全く違うイメージが広がっていたんだと思います。

   確かに。文字で読むと、ちょっとまとまって見えますね。

西山そうそう。わたしは録音にも参加したのですが、そっちのほうがよく覚えています。去年まったく演劇をやっていないなかで、セリフを読む体験がすごく助けになったんです。予定されていたものも結構なくなったし、演劇というのは不要不急だという雰囲気があったじゃないですか。それがつらくて、不要だと言われる側になりたくなくてわたしは俳優ではない、という意識でアルバイトを頑張っていました。でも円盤に乗る派にセリフをもらって、一人で部屋の中でセリフを読む時間が急にできて、「あれ、俳優だった」と思えた。すごく助けられました。

   今実際に稽古してみてどうですか?

西山声はいろんな場所から出ているようなイメージがあるとしても、体は一つだから、より物語だという感じがします。

下駄僕は何回もオンライン上演を観ていますが、あれを観て物語を意識したことはあんまりないですね。もちろん戯曲は読んでいるのでどういう話かは知っていますが、オンライン上演がまさしく僕が戯曲から読みとった物語だったとは思わない。

   オンラインの方はその意外性も含めておもしろかったということですか?

下駄というか、演劇は必ずしも物語を伝えることが目的にはならないでしょう。大事なのは演劇的な体験です。目の前で何か現象が起こっていて、それを見て何かを思う。そこには物語も俳優も劇場もあるかもしれないし、ないかもしれない。だからオンライン上演は、まさしく全部で、体験として本当に良い感じだった。もちろん要素ごとにここがよかったと言うこともできるんですけど、要素ごとに見ても他のことが気になっちゃうくらいには全体として良いんですよ。

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稽古のあり方自体を探っていく

   今稽古では体を動かしているんですか、それとも話し合いをしているんですか?

西山どっちもです。一般的に演劇の稽古は、俳優がシーンをやって、それに演出家が意見して、何かに近付けていくというものが多いです。でも今回『ウォーターフォールを追いかけて』は稽古場に来てある特定のシーンやるとなったら、まず俳優が自分でちょっとやってみて、それで自分でも違うなと思ったり、他の俳優にどう見えたか言い合ったりする時間を1時間くらいやって、その後カゲヤマさんがどう思ったかを言う時間がある。何かを目指していくようなつくり方ではないです。話し合いの時間もかなり多い。

下駄一回の稽古で半分くらい喋ってますね。稽古一回は大体4時間位なんですけど、2時間は話しているかも。もう2時間は戯曲をもとに演技をする、いわゆる稽古です。

西山わたしこれはめちゃくちゃ良い稽古で、発明だと思っています。わたしはいつも休憩中に「良い稽古でしたね」って言っちゃうんですよ。何らかの目標に向かって頑張るってあんまり演劇に向いてない考え方なんじゃないかって思ったり、圧みたいなものが生まれると、頭や体が固まったりするから、それがないことでできることは広がるなと思います。

下駄一般的な演劇では真理や全体は往々にしてあらかじめ演出家や戯曲が持っているという前提があることが多いと思います。もちろんそうでない演劇もありますが。それで創作の現場、つまり稽古でも大体その真理や全体に近付けていこうとする。でも、今回は観客それぞれが感想を言えて、かつその感想がどれも正しいと言えるような上演にしたいと、昨年企画を立ち上げた時からカゲヤマさんと話をしていました。つまり、どんな演劇だったかと言われたときに、みんなが違う感想をいえるし、さらにそれに確信を持てるような作品です。実際、そんな戯曲を目指してカゲヤマさんは今回書いていると思います。そうなると、戯曲だけ取り出してもでも全体性が薄い、全体性はそれぞれが見出すものになるわけですよね。かつカゲヤマさんも演出をしないという演出をしてるから、そういう意味で演出家の全体性も薄い。で、俳優は演出家じゃないし基本的に全体を担わないから、俳優も俳優で部分的にやるしかない。目指すものに対して、筋の通ったつくり方ができているなと思います。
ただ、このやり方が通用するのは、みんなもうすでに円盤に乗る派に出てる人だっていうのはあります。なので、リクリエイションの学生版だとちょっとやり方が変わるんじゃないかな。一般版だからこういうことができている。リクリエイションでは円盤に乗る派の前提を共有していない人と創作するので、今まさに試している方法をより言語化して伝えていかないといけないと思います。

水平な関係のなかで、演出家とは?

西山カゲヤマさんがたまたま欠席した稽古があったのですが、そのときめっちゃ良い時間が流れたんですよ。

下駄カゲヤマさんいなくて残念だったねって話してましたよね。逆にカゲヤマさんがいなかったからそういう稽古ができたっていうのはある。

西山そうそう、そうだと思う。今思い返すと、それまではよく発言する人が固定されていたような気がします。それがその日は、みんなが結構喋った。

下駄みんなが喋ってくれたら演出家が相対的に弱くなりますよね。演出家だけが喋るから強くなるのであって、みんなが喋ると相対的に弱くなる。でも権力関係があっちゃだめだということでもないと思う。

   どういうときに権力が必要だと思いますか?

下駄演劇をやる際の憧れとして、演出家はいなくてカンパニー全員が同じ責任を持っていて、みんなの責任で作品をつくるというのをやりたい、と思うんですよ。ただそうしてみると、あくまでこれまでの自分の経験からですが、おもしろくないものができることが多かったです。初めてうまくいっているという話を聞いたのは『おはようクラブ』のアフターイベントに快快-FAIFAI-のみなさんをお呼びしたときでした。彼らは、おもしろくないものがあったら、他の人がおもしろくないと言ってくれるし、そもそも稽古を続ける中で自然と淘汰されていくと言っていました。ただ、たとえ文脈が関係なかったとしても、個人が強烈にやりたいことがあったら、やらせてあげる。その話を聞いたときに、快快-FAIFAI-は信頼関係を根拠におもしろい作品がつくれてるのだなと思いました。だとすると、もしかしたら演出家は居ても居なくても良いかもしれないと思うわけですよ。でも、今回、演出家はいる。さらに個人的な気持ちとしては演出家に可能性も感じているので、居ても居なくても良いという地平に立った時に、演出家が居ることで作品はどう良くなるんだろうというのが今回気になるところです。例えば、権力関係がないときに、演出はどういう存在になるんだろうと。僕は演出家のことがよくわかっていなくて、稽古場に居て、適当なこと言ってくるやつだと思ってるんですよ。だって僕のやってることに対してなんか言うって本質的に変じゃん。

西山それを言うなら、まず俳優が変だよ。だって自分がやりたいことじゃないことをわざわざやりにいくという謎の趣向を持つ人々だから。

下駄確かに。自分が言いたいと思っているかどうかもわからない言葉を言いにいく人々だからね。しかも言ってみて、「あれなんか上手く言えないな」って大体思うんだよ。

西山そう。「だって言いたくないもんな」と思う。

下駄そうそう、「こんなこと別に俺今言う必然性ないんだよな、なんで言わなきゃいけなんだろうな」って思うんですけど、それを毎日やったりするんですよね。そうすると「だんだん言いたいかも」っていう気になってくるんだよな。

西山どっちも変なんだよね。

下駄劇作家は自分が書いたことを人に読ませるわけですよ、変なやつですよねえ。演出家は誰かが書いた言葉を誰かに読ませてるのを見て何か言うんですよ。変なやつだなあ。何なんだろう、これは。

西山みんな何がしたいんだろうね。

下駄でもこの変さは大事だと思ってます。人に言葉を読ませるために文章を書く。で、それを自分の言葉じゃないから上手く読めないのに読みたい人がいる。それに対して全然関係ないやつがなんか言ってくる。本当は読みたい人と読ませたい人がいれば成立するんですよ。でも第三者がなんか言ってくるんですよ。これは何なのか。本質的にはなくてもいいわけですよね。でもこの人が居るとおもしろいのかもしれないとは経験から感じている。じゃあなんでこの人が居るとおもしろいのかというと、わからない。これは最近よく言う俳優の地位向上とかと関係なく、なぜこの人が居たらおもしろいのかと。でもなんか居たほうがいいっていうのはなんかわかるんですよね。よく演出家は一番の良い観客だって言いますけど、観客じゃないだろと思うんです。観客の言葉はやっぱ観客の言葉として聞きますから。じゃあなぜこの人に価値があるかって言うとやっぱり演出家だからじゃないかなぁ。

西山でも劇作家、俳優、演出家の中だったら一番観客に近いよね。

下駄もちろん。でも観客じゃないですよね。

西山でも演出家が……笑ってくれるとうれしいよね。

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下駄偉い人に褒められると嬉しいっていうのは動物としては分かるんですけどね。

西山偉い人というよりも、その一番良い上演は何かということを共有してるって感じがする。お客さんが笑う箇所っていうのは案外いろいろなんですけど、演出家は、こっちが楽してないときにちゃんと笑ってくれる。ちゃんと演技と戯曲と空間でガチンコして何か起きたときに笑ってくれるって感じがするから、信頼できるんですよね。

下駄それはあるかも。なぜこの人に価値があると思えるかと言ったら、この人の考え方や見方がおもしろいと思ってるわけですよね。この人がおもしろいやつじゃなかったら絶対言うこと聞かない。
でもやっぱり僕は全員野球がしたいんですよね。みんなが楽しいほうが良いから。みんなの良い部分が集まって最高のものができるっていうのが一番良いですよね。そういう意味では上演より、稽古のほうが楽しい。そのときに一応リーダーみたいな役割の人がいるんだけど、やっぱり全員です、みたいな。だから、演出家はキャプテンくらいの感じだったら良いね。監督じゃなくてキャプテン。演劇界がそうなったら良いなと思っています。

西山真来

京都の「象、鯨。」という劇団で作・演出をやってました。解散後は俳優として映画や演劇に出演しています。近作は映画「なんのちゃんの第二次世界大戦」「れいこいるか」「スパイの妻」や、マレビトの会「グッドモーニング」犬飼勝哉「ノーマル」モメラス「反復と循環に付随するぼんやりの冒険」などの演劇作品です。カゲヤマ作品は「幸福な島の誕生」に続いて2回目です!

日和下駄

1995年鳥取県生まれ。2019年より円盤に乗る派に参加。以降のすべての作品に出演。特技は料理、木登り、整理整頓、人を褒めること。人が集まって美味しいご飯を食べることが好き。下駄と美味しんぼに詳しい。

Introduction #4

その場限りの建築としての舞台美術

【空間設計】瀬田直樹 + 【舞台美術】小駒豪 + 【出演】日和下駄

Introduction #4

その場限りの建築としての舞台美術

空間設計瀬田直樹 + 舞台美術小駒豪 + 出演日和下駄

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空間のない場で産み出されたオンライン上演。そこからリアルな劇場へと舞台を移すとき、舞台美術がどのような形を取るのかはひとつの注目に値する。そもそも舞台美術とは何なのか? ともに建築学科出身の瀬田直樹(空間設計)と小駒豪(舞台美術)、そして企画段階から関わっている日和下駄(俳優)に話を聞いた。連続インタビュー企画、第四弾。(聞き手:住本麻子)

エスキースとしての稽古

   瀬田さんは大学卒業後に演劇に興味を持ったと聞いているのですが、小駒さんは、どこから興味を持ち始めたのでしょうか?

小駒僕は学生のときは建築とデザインをやる学科にいたんですけど、学生の時は演劇にはあまり関わっていなくて、卒業してから「テニスコート」という美大の劇団の舞台美術をやるようになりました。コントをやる劇団だったのですがそこで舞台美術として関わったのが初めてです。

下駄なんで急に関わろうと思ったんですか?

小駒建築がやっぱり好きで、建築の中の演劇的なものに興味もあったんですかね。建築をやっているときにヒューマンスケールのものに興味を持ったんですよ。最初に興味を持ったのは茶室でした。決まりごとが多いし、動きも厳密に指定される。その中で喋ることも決まってますし、その枠の中で違いを少しずつ出すんです。それが最初の興味ですかね。茶室ってすごく小さくて、お客さんと亭主が親密な会話をする空間なんです。

   決まりごとが多いのに親密。おもしろいですね。

小駒どうしてなんですかね、最初は決まりごとなんかなかったんでしょうけどね。建築と人間がどううまく関わっていくかに興味があるんです。人のいない建築があまり好きじゃないし、基本的には人のいる場所に居たい。人の生活や居心地の良い場所にはすごく興味があったんですね。でも、「テニスコート」に関わったのは流れですね。それまでは演劇自体にそんなに興味なかったです。いまだから言えることですけど、演劇に興味が出たのは、人と何かやるみたいなことを自分のリハビリ的な意味でやりたかったんだと思います。人と一緒に何かするっていうことが僕にとっては演劇なのかもしれないですね。

下駄演劇自体に興味を持ち出したきっかけは何なんですか?

小駒それは飴屋法水さんに出会ってからですかね。2009年に『3人いる!』という名前の舞台で素人として出演することになったんです。リトルモア地下という原宿の地下にあったギャラリー兼劇場で主に役者ではない人や日本語勉強中の外国人などを36人集めて、毎日3人ずつ、12通りの演出を12日間でやるという企画があり、それに出演することになったのが転機です。こんな現場あるんだ、と驚くような舞台でした。そのときに舞台美術なんかいらないじゃん!と思ったんですね。設計や計画とかでやれることは演劇ではそこまで大きくないんじゃないかと。その場にいる人の持ってる雰囲気や、何をやってるかから感じられることがほとんど全部なんじゃないかって。そのこと自体にはすごく、励まされました。頑張れる!って。頑張ったらこんな奇跡みたいなことって起きるんだ、って。

下駄そんな体験をしてしまったら、その後舞台美術をやるときに、疑問が湧いてきたりしませんか? これはなんなんだ?って。

小駒ぶっちゃけなっちゃってますよ。不要だとは思わないけれど、一番大事なことは人だよなと思っています。飴屋さんからは一番優先すべきところを学んだという感じです。

   それでも舞台美術にできることがあるとすれば、何なのでしょうか?

小駒それは、人と人とが共有するための模型とか、人と人とが一緒にものを考えるときに用いるエスキース的な。

   エスキース?

瀬田相談しながらものを作っていく過程みたいなものを建築用語でエスキースというんですよ。建築学科の設計の授業では、先生に一人ずつ相談して、ああだこうだ言われながらやるんですけど、その行為をエスキースというんです。他人相手じゃなくても、自分だけで考えて書いたり消したりする過程もエスキースと言っている人もいます。

   計画を揉んでいくみたいな。

瀬田そうですね、稽古に近い。初めて稽古を見たときも思いました。自分たちは模型にしてから実寸で作ったり試したりするけど、稽古はその場でいきなり実寸でやっている。そのことに感動しました。動作もその場で試せる。戯曲から稽古までの幅がおもしろいなと思ったんです。建築業界ではコンセプト作って構成作って図面書いて模型作ってCG作って、色々な準備をしてから初めて実寸になるんです。演劇は戯曲からいきなり実寸に行く人もいれば、相談してから実寸する人もいますけど、とにかく戯曲からのジャンプがすごい。しかも演劇の稽古は、あまり正解を求めてないなかで共有する。建築の図面とかは、みんなで目的を共有してからその目的に向かって作業を進めるけれど、演劇の人はざっくりと大事なことだけ共有しておくだけ。その幅のある感じがおもしろいなと思います。

下駄しっかり正解の強い演劇もあるとは思います。演出家のイメージを具現化するのが俳優の仕事だと考える演出家もいなくはない。僕は大学時代に演出をやったことがあるんです。俳優をやるのか演出をやるのか考えたときに、一旦全部やってみようと思って。でもいざ演出をやってみると、思い通りに行かなくてイライラするんですよ。「俺はパスタ作りたいのにお前ら鍋作るなよ、俺パスタ作りたいって言ったよな」って。それでやめちゃいました。そのとき「パスタを作ろうとしたけど鍋ができちゃったことめちゃくちゃおもしろがれないと演出家はやれないだろうな」と思ったんですよね。あるいは、パスタを作りたいという動機や作り方をちゃんと教えられないと。だから当時の僕はみんなに作り方を教えていたわけでもなかったし、ただパスタを作りたいって言ってただけだった。わかり合えないのに奇跡みたいなことが起きるのを信じてあげるのが演出家だと思います。

寄り添いすぎてもいけない

   いまはこの瀬田さんと小駒さんの二人の間で会議をしている状態ですか?

瀬田この間ミーティングをしました。自分が今回カゲヤマさんと共有できているのが戯曲と稽古と、「俳優さんが寄りかかれるような美術でもいいよね」という話をちょこっとしたりしました。それはすごい注文というわけではないと思いますし、他にこうしてくれという強い注文は現状ではないです。だから、とりあえず戯曲を読みほどく作業をやっています。
でもこの間、通しの稽古を見て質問させてもらったときに、寄り添いすぎるのも良くないなと思ったんですよね。もっと好きにやっていいんだろうと。小駒さんの人が好き、人のいる建築に興味があるという話には共感しますし、住宅を作るかのように俳優さんに寄り添って作るのもおもしろいのかなと思ったんですけど、それはこの人達を閉じ込めそうだなって思いました。建築は結構人の行動を制限すると思うんです。でも円盤に乗る派の俳優さんの動き、特殊で、美しくも見え、気持ち悪くも見えるようなところに可能性を感じているので、それを伸ばすというか、枠組みを広げられるようなことができると良いな、あまり制限をしないように心掛けたいなと思っています。

   寄り添いすぎることが制限になっちゃう可能性もある。

瀬田何もない空間には何も生まれないと思っているので、何か作ることは重要だと思っているんですけど。劇場の中に劇場を作るのも良くないなと思っているんです。たとえばテレビやソファーを置いてどんどんリビングに寄せていくということは、どんどん制限が増えるということだと思うんです。何を作って何を作らないかをよく考えています。たとえば戯曲にテレビが出てくるからといって、本当にテレビが必要なのか?
僕は『ウォーターフォールを追いかけて』の登場人物たちが好きなんですけど近づきにくいな、危険な感じがするな、人間関係の中で避けられがちな人たちだろうなとも思う。その人達が共存している空間って、いやいや綺麗なリビングダイニングキッチンにいないだろと思って。最初はシェアハウスかなと思ったんですけど、違うなと思いました。この間稽古を見ながらスケッチとメモと平面の動きを書いてみて、西山さんのソファーに座る座り方が気になりました。西山さんのソファーの座り方は足が浮いたりすることが多くて、物のしつらえにすごく敏感な感じなんです。まあ役の問題もあると思うんですけど。円盤に乗る派の方々って重心が独特で。もちろん役のキャラクターも関係していると思うんですけど、畠山さんは重心が傾いていて、立蔵さんはちょっと浮いてて、ヨネスクさんは重いのか軽いのか分からなくて、下駄さんは今回は軽めな気がしているんですけど、いつも肩に重心がのっているような気がしています。そういうのも面白いなと思っていて。空間にものを置いちゃうと、軸とか中心ができがちなので、その人達の軸とか中心を崩したいなって思っていました。

「きえもの」としての舞台美術

瀬田今回大事にしたいなと思っているのが、今回の『ウォーターフォールを追いかけて』は上演だけじゃない企画がたくさんあって、演劇に関わる面が多いという感覚があるんですね。だから劇場だけが演劇空間じゃない。自分はもっと大きい範囲のイメージでやりたいと思っているんです。この間小駒さんも言っていたんですけど、たとえば良い演劇見たときって帰るときの景色が違ってるってのがあると思うんです。それをもう少し活かせないかなと思っていて。たとえば舞台美術として電柱が立ってたら、同じような広告付きで実際にあったりとか。日常の体験の延長線上に演劇があって、それをどう体験していくかを考えていきたいなと思ってます。

下駄本物の電柱が舞台にあったらむちゃくちゃウケますよね。

   小駒さんは、大事にしたいことややっていきたいことはありますか?

小駒僕は舞台美術としてオファーされてそれを受けたのですが、それだけをやってほしいっていうのを望まれているわけではないと思ってますし、クリエーションメンバーとして自立してやりたいこともある。建築と演劇の関係性を自分なりに解明したいと思ってるんです。現場にあるものを構成するみたいな「現場美術」なるものがあるんじゃないかと考えています。そういう概念を、演劇でしかできない美術を考えていきたい。

瀬田キーワードで言えば、「なまもの」とか、「即興性」とか。すぐ消えるというのはとても大事だと思うんですよね。上演中の時間だけしかできなくて良い。そのことにすごくポテンシャルを感じています。

小駒不安定でも建っている感じ、仮設感というか。そういうものが好きなので。かっこいいじゃないですか現場。足場とか。かっこいいんですよ。

   建築家だったら設計までしかいないけど、演劇における舞台美術っていうのは現場まで扱える。

小駒そうです。横尾忠則が1970年に「せんい館」っていう大阪万博のパビリオンを作ったんですけど。足場立てて塗装してるときに、ここで止めろっていって止めたんですけど、それすごいですよね。

瀬田解体中も好きです。なかなか見れないですけど。

   わたしも向かいの一軒家が解体中なのですが、ショベルカーがドーンと真ん中にあって、家がきれいに半壊していたのが壮観で、思わず写真撮っちゃいました。

瀬田あ~、撮っちゃいますよね。そういうところで演劇とかやってみたいですよね。ちょっと待って!って。

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瀬田直樹

1995年生まれ。埼玉県出身。
大学で建築の意匠設計を専攻する。卒業後設計事務所就職。
「なりきり」をテーマに身体と空間とまちの関係性を模索。
見えるものも、見えないものも、丁寧に着目し、空間を設計していく。

小駒豪

1983年東京生まれ

演劇などの舞台美術や照明を中心に、 店舗内装など、分野問わず、 設計および、製作をやっています。

武蔵野美術大学卒業後、 飴屋法水、生西康典の現場に、主にスタッフとして関わる。 近年は、武本拓也、情熱のフラミンゴ、などの現場で照明や舞台美術を担当。

日和下駄

1995年鳥取県生まれ。2019年より円盤に乗る派に参加。以降のすべての作品に出演。特技は料理、木登り、整理整頓、人を褒めること。人が集まって美味しいご飯を食べることが好き。下駄と美味しんぼに詳しい。

Introduction #5

それでも舞台に上がる理由

【出演】小山薫子 + 【出演】畠山峻

Introduction #5

それでも舞台に上がる理由

出演小山薫子 + 出演畠山峻

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これまで円盤に乗る派『ウォーターフォールを追いかけて』の出演者やスタッフのインタビューをするなかで浮かびあがってきたのは、オンライン上演が円盤に乗る派を象徴するような上演だったということだ。しかし演劇には役者の身体が不可欠だと思う。俳優が舞台に上がることはどういうことなのか? 「惑星」役の畠山峻と「鳩」役の小山薫子に話を聞いた。連続インタビュー企画、最終回。(聞き手:住本麻子)

言葉を掲げる

   今回、連続インタビューの最後です。毎回オンライン上演をどのようにご覧になったかを聞いているんですが、どうご覧になりましたか?

小山オンライン上演のときに、途中で電波がとんでしまって、音声が途切れたりしていたんですけど、これも演出なのかなって感じちゃったんですよね。電波に乗った言葉が届いているのか届いていないのか、その曖昧な状態を受け入れられているように感じられた。それが上演でもオンラインでもなにかつながっている部分かなって思って、おもしろく観ていました。

畠山そういうトラブルが起きると、普通の演劇だと集中力が途切れてしまうと思うんですよね。それがあんまり起きない。それは円盤に乗る派のいままでの上演にも言えることだと思うんです。フラットな状態がある。かといって舞台に上がっている自分は、日常の素のままの自分でもない。
カゲヤマくんの戯曲は、日常的な言語のようで書き言葉じゃないですか。かなりおかしな言葉を使っている。その言葉のために体も心も全部作って舞台上に立つという方法もあるとは思います。でもそれを地に足つけた状態をある程度ベースにしつつ、ただその不条理を引き受けようっていうことが可能かどうか、探っているという感じでしょうか。

   なんとなく分かる気がするんですけど……なかなか抽象的な感じですね。結構、稽古の中では抽象的な話が多いですか?

畠山うーん、多いんじゃないですかね。具体的な話をしているわけではないと思うんですよ。いま目下、稽古場で話題になっているスタイルの名称が「言葉を掲げる」なんですよね。

小山「言葉を沈めてる」状態だと振る舞いに重点が置かれているような状態なんですね。役が「言葉を掲げている」状態だとこの言葉の質を提示する。質を提示して、そのために自分がいる。

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畠山「言葉を沈めてる」方をやりたくなっちゃうんですよね、褒められたいから。俺はそうだなって。台本渡されて「やりたいようにやっていいよ」と言われたときに、戯曲読むことからその種を探そうとするわけですよね。で、この役はこういうこと考えているんじゃないか……たとえば俺の役の「惑星」だと、鬱屈としている部分があるんじゃないか、成功してないんじゃないか、人とのコミュニケーション上手くないんじゃないか、あ、そういえば畠山っていう人間もそういうところあるな~と、だんだん妄想で読みこんでいって共感してしまう。そうやって感情と行動がメインに見えるようにやってったら、自分はそういう仕事をしたんだという、そういう結果を人にわかりやすいかたちで提示できるし、なんなら褒めてもらえるかもしれない。でもそうすると、この言葉である必然性って実はそんなになくなってしまう。

   でも俳優としては自分である必然性も欲しくなっちゃいますよね。

小山でも、いま言っていたことと言葉を掲げることとのたしかにバランスのとり方みたいなのがキーになってくるのかなと思いました。

畠山極端になっちゃいけないなと思ってるんですよね。

   そっか……でも戯曲で読むと一番言葉が掲げられてるじゃないですか。どうすればいいんですか。それだったら戯曲読んだらいいじゃない、とはなりませんか?

畠山そうなんですよね。だから戯曲読んだらいいし、なんだったらもしかしたらオンライン上演版の方が良いんですよね、きっと。あれは言葉が掲げられてると思います。でもそういうなかで、わざわざ上演するわけですからね。

小山どこかで一つの役が一人でなければいけない状態を引き受ける必要があるわけですよね。オンライン上演だと複数の声が立ち上がってる状態だったけど、目に見えるかたちで体があるから。なんか時間が変わってくるのかなって思って。

   時間?

小山そうですね。一つの役を一つの身体が持続して引き受けることで変化が生まれるかもしれない。そこがどうおもしろくなるのかなって思うんです。

俳優の作家性

   円盤に乗る派はカゲヤマさんの作家性が強く出ている印象があるのですが、ご自分の作家性についてどう思われますか?

畠山俳優としての作家性という意味でいえば、俺、作家性無いんですよ。与えられた条件の中でそこを熱心にやるためにっていうことに力を注いでいるという感じがしています。盲目的というか。アイディアがある状態でこそエンジンがかかる。だから俺はそういう意味ではアーティストじゃないと思います。アイディアがないから。

小山確かに与えられる条件や状態ということでの演出は強いのかもしれないですけど、それらを体に理解させるやり方やあり方は自由で居られるということがカゲヤマさんの演出にはある気がしているんです。それぞれがそれぞれでやってる。だから私のやってるやり方と別の人のやってるやり方は全くわからないということが生まれているんじゃないかな。

畠山試したい人にとっては試せる場所でもあるんですよね。そのために条件をガチガチにせずに、カゲヤマくんもできるだけ心掛けているところがある。

小山そうそう、だからフラットさみたいなところがあるんですよね。でも畠山さんは本当に、とても盲目的に戯曲を読みこまれていますよね。

畠山誤読しかしてないですよ。

小山いやいや、それが良いんじゃないんですかね。盲目的にならなきゃと思わされたんですよ、畠山さんの話を聞いて。さっき言っていた、一人の人が役を受け入れて進んでいくということが今回の舞台で生じている、その根源を戯曲に書かれていることを読む。畠山さんは良くないことだとおっしゃったけど、でもそれって否定することなのかなって。畠山さんのそういう姿勢が自分のトライに重なっている感じがするんですよね、うまく説明できないんですけど。

畠山ありがとうございます。……ちょっと話が別の方向に飛んじゃうかもしれないんですけど、一回読んだ台本って、二回目は一回目よりおもしろくないじゃないですか。だって知ってるんだから。だけど何回も読むわけですよね、もちろん稽古場でも読むし、稽古場以外でも読む人もいる。俺は稽古場以外でも読みます。でも同じような読み方をしてるとちっともおもしろくないんですよ。だからこの戯曲に興味を持つために、今日はここに焦点を絞って読んでみようとか、目標を決めてモチベーションを保っているってことがあるなと思いました。だからそんなに読みこまない人が、稽古でモチベーションを保つ方法があんまり良くわかってないってところがあるんですよね。

intro05_img2

小山それでいうと、わたしは読みこんでいない方なんです。でもいまの話を聞いて、人によって色んなことを試せている状態があるんだなって。

畠山そうそう、だから結局それも戯曲というベースがあるからなんですよね。戯曲から発見するのも、戯曲がないとやろうと思わないんだなって思うから。

   小山さんの戯曲の向きあい方についてお聞きしてもいいですか? 読みこまない読み方について。

小山実はわたしもすごく読んじゃう人でした。読みこむのは、楽しいんですよ。それこそ発見があったり、言葉の使い方の細かいポイントにも気づけたりする。それで決めつけたくなっちゃうんですね。

畠山うんうん、それが結構危険ですよね。

小山そう! だからどう距離を取っていこうかなって思ってる。

   役のことわかった気になっちゃうということですね。

小山・畠山そうそう。

畠山一つの人格に絞って役を掘り下げたほうが、深く深く掘り下げていくことができると思うんですけど、解釈の余地は狭くなると思うんですよね。だからまたフラットに読まないといけない。

   多様な読みに開かれた状態のまま舞台に上がる。

畠山ことができるといいですよね。

回りくどい道を探る

(ここで日和下駄が参加。)

下駄さっき畠山さん、俳優の作家性がないって言ったじゃないですか。でも、僕はやっぱりあると思うんですね。僕が第3回のインタビューでも喋ったことですけど、俳優の、わざわざ人が書いた言葉をやりたいということ自体が変。それ自体が、俳優が表現者である理由だと思う。大体表現する人って、自分の方法をなんとなくこれじゃないなって思い続けがちじゃないですか。

畠山そうですよね。

下駄だから続ける。劇作家とかも、これ渾身のものが書けたとなったらもう書かないから。だから畠山さんの話はごく自然な話として聞き続けていました。

畠山なるほどね。いやでも、わざわざ言葉を扱う、俳優をやるというのはね。これは、海に行くのが楽しいとか、カラオケに行くのが楽しいとか、スポーツをやるのが楽しいとか、ああいったこととは違うんですよね。むしろ、ものすごく怖いんですよね。怖いし緊張するし、自分の経験はそのまま経験として安定して保証されない。年齢を重ねていって、たとえば職場とか社会的な場所で関係性ができていくと、それほど地に落とされるような否定のされ方することっていうのは、各々の立場が明確になっている限りはあまり起こりえないと思います。だけど演劇っていうのはそういうかたちで安定しているということが良いことだとも限らない。だけどそれくらいのところに行こうとしているということ。そういう場所だから怖いんだなと思います。なんでそれをわざわざやるんだろうって考えると、必要なことだと思うからなんですよね、自分が倫理的に生きていくために必要なことな気がする。

   倫理的に……?

畠山倫理的に。間違わないために。とりあえず演劇を俺が続けている限りは、もうどうしようもなくなって街で刃物振り回すとかはしないんじゃないかって気がするんですよ。これがなぜなのかはわからないんですけど。でもなくなると、もしかしたらするなって気がしていて。

   正気を保つためにやっている。

畠山そう、正気を保つために。それはカゲヤマくんも言ってたし、大林宣彦監督もインタビューなどで「正気」というものを強調していました。正気を保つためでしょうね、やっているのは。そんなに真面目に生きているわけでもないから……。でもやっぱり、無駄なことに真剣に取り組むっていうのは、人間が人間という存在であるために必要なことだと思うんですよ。それの恰好のやり方がとりあえずは自分にとっては演劇な気がするから、演劇やってるんだなって気がする。

小山人間、他人や他人の経験って絶対にわかりえないじゃないですか。でも世界には他者と自分が存在している。自分も存在しているしこの他者も存在しているってことを、演劇を通して理解しようとしているなって思うんです。そういうことを考えたいからやっているのかなって。そこに存在しているっていう認識をしていくみたいな。

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畠山あ、なるほど! それは文字同士とか言葉だとむずかしいことですよね。だから演劇でわざわざそのことを考える必要を感じているというのは、わからない人に対して、その人に相対して、自分もそこにいて、影響を受けていく……。

   言葉を掲げつつ、俳優として身体を持っていくっていう意味は、わからないけど存在として認めあっていくっていうところと重なるのかなと思いました。

畠山それはそうだと思います。

小山それってなんなんでしょうね。

畠山それが社会活動として、困ってる他者を助けるってことでもいいような気もするし、なにかが違うような気もする。

   直接人になにか良いことをしたりすればすごく直接的に誰かが喜ぶし、目に見えて成果が出るし。でもそういうことじゃない、ちょっと回りくどいことをしていることに何があるんでしょうか。

小山実は個人的には、いま障害者介助の仕事に興味を持っているんです。でもそれをやったら演劇やらない、演劇について考えないわけじゃない。

畠山うん、そうそうそう。それでもわざわざ演劇をやるんだろうね。社会人としては仕事をやらないわけでもないし。その回りくどさみたいなことが自分が倫理的に生きていくために必要だと思っていくってことなんですけど、まあでも、楽しいですかね、なんかね。変な言い方ですけどね。

   それは、すごく大事ですよね。たとえ俗っぽい理由だとしても。

小山薫子

1995年生まれ。俳優。劇団ままごとに所属し、「ツアー」「反復かつ連続」などに出演。俳優2人による劇ユニットhumunusを結成し、「海足を踏めない」「し/ま」などを創作し上演。現在は福島県富岡町での活動も行なっている。身体の存在のさせ方によって風景がより浮かび上がって見えてくる作用を、様々な場所と声・身体の関係から試行している。円盤に乗る派は「正気を保つために」「流刑地エウロパ(再演)」に出演。

畠山峻

1987年北海道札幌市生まれ。舞台芸術学院演劇部本科卒。俳優としてブルーノプロデュース、20歳の国、亜人間都市などの作品に出演。カゲヤマ気象台の作品では『おはようクラブ』『野生のカフカ@おいしいカレー』『流刑地エウロパ』などに出演。演劇ユニットpeople太では演出をしています。
https://t.co/8zLKaMfpQW?amp=1

住本麻子

1989年生まれ、福岡県出身。ライター。文芸誌やカルチャー媒体を中心に、インタビューや対談の構成、論考などを発表。企画・インタビュー・構成で関わったものにwezzyの「表現と自由」特集、構成に「飛浩隆×高山羽根子「ディストピア小説の主人公とは誰か 嫌(いや)視点の作り方」」(『文藝』2021年春季号)、論考に「傍観者とサバルタンの漫才-富岡多惠子論」(『群像』2021年7月号)などがある。

Creation

クリエイション

クリエイションでは上演に向けた稽古の様子をお届けするオーディオレポートを公開します。円盤に乗る派は日常から上演へ、そしてまた日常に戻っていく営み全てを演劇と捉えています。しかし一般的には、その一つの要素でしかないはずの上演こそが、演劇だと捉えられがちです。そうした現状を打破するために、今まさに上演が生まれる時間である稽古を、用いることを考えました。そこには上演とはまた違った面白さがあると円盤に乗る派は考えます。しかし、ただただ稽古を開示するだけではその面白さは見えづらい。そこで丹念なリサーチのもとで作品制作を続けているアーティストの佐藤朋子さんにレポーターをお願いしました。日常と上演を時間的な厚みを持ってつなぐ稽古の面白さを、少しでもお伝えできれば幸いです。

Creation #1

円盤に乗る派の稽古場から

ドラマを乗りこなす方法を探る

Creation #2

円盤に乗る派の稽古場から

役を演じるを繰り返す

Creation #3

円盤に乗る派の稽古場から

人間になる/人物になる

Creation #4

円盤に乗る派の稽古場から

言葉をかかげる

佐藤朋子

1990年長野県生まれ、神奈川県在住。2018年東京藝術大学大学院映像研究科メディア映像専攻修了。レクチャーの形式を用いた「語り」の芸術実践を行っている。近年の活動に、《オバケ東京のためのインデックス》(シアターコモンズ, 2021-)《TWO PRIVATE ROOMS ― 往復朗読》(theca, ウェブサイト, 2020-)《MINE EXPOSURES》(個展, BIYONG POINT, 2019)《The Reversed Song, A Lecture on “Shiro-Kitsune (The White Fox)“》(2018-)など。
WEB|http://tomokosato.info/

Recreation

リクリエイション

リクリエイションでは早稲田小劇場どらま館を会場として上演される『ウォーターフォールを追いかけて』リクリエイションの稽古・本番の様子を無料でライブ配信します。これはSTスポットにて行われるプレゼンテーション『ウォーターフォールを追いかけて』の上演前に、早稲田大学の学生を出演者に迎え、作品を改めて創作し直す取り組みです。「危機の乗りこなし方」をテーマに、プレゼンテーションに向けた稽古で生成された上演のための方法を先鋭化させ、観劇後に日常に持ち帰れる、実践的な上演となることを目指します。配信映像は円盤に乗る派『流刑地エウロパ』(初演時はsons wo: 名義)に俳優として参加し、映像ディレクターとしても活躍する佐藤駿さん。上演前に上演が行われる、少し不思議な今回の取り組みを覗き見していただけると幸いです。
(各配信アーカイブあり:10月23日(土)23:59まで)

Recreation #1

演技を見て、考える
(2021年9月27日(月)18:00開始)

稽古を見る#1

Recreation #2

演技を見て、考える
(2021年10月3日(日)18:00開始)

稽古を見る#2

Recreation #3

演技を見て、考える
(2021年10月22日(金)18:00開始)

上演を見る

円盤に乗る派
『ウォーターフォールを追いかけて』
リクリエイション

2021年10月22日(金)〜10月23日(土)

会場:早稲田小劇場どらま館

※劇場でご覧いただけるお客様は、早稲田大学の学生の方に限ります

佐藤駿

1990年生まれ。俳優・映像ディレクター。大学在学中より映画制作や出演を始める。撮影を担当した『Sugar Baby』(隈元博樹監督、2010)が水戸短編映像祭審査員奨励賞受賞。2016年ごろよりパフォーミングアーツをつくる集まりとして「犬など」をはじめる。以降、演劇などへの出演多数。身体を内側から観察する俳優と、身体を外側から観察する映像制作の間で、演じることの問題について考えている。最近の主な出演に、屋根裏ハイツ『ここは出口ではない』、円盤に乗る派『流刑地エウロパ』など。

Presentation

プレゼンテーション

円盤に乗る派
『ウォーターフォールを追いかけて』

2021年10月27日(水)〜10月31日(日)

会場:STスポット

〒220-0004
横浜市西区北幸1-11-15横浜STビルB1F

プレゼンテーションではこれまでのプロセスを踏まえながら、劇場空間での上演を行います。戯曲『ウォーターフォールを追いかけて』は、2020年7月に早稲田大学の学生とともに行われた「ドラマゼミ」の成果物から、カゲヤマ気象台により執筆されました。タイトルの「ウォーターフォール」はアメリカのR&Bグループ、TLCによる1995年のヒット曲「Waterfalls」に由来します。曲中での「waterfalls」は犯罪やドラッグ、エイズといった、当時社会問題とされていたような暗部に落ちてしまうことを表すメタファーです。本上演は、分断の時代におけるドラマの意義の再発見を目指してきた、1年間のプロジェクトの終わりに位置します。しかし、依然として私たちの日常は続きます。本プロジェクトが終わった後も、危機に飲み込まれそうになった時に処方箋として思い出せるような、そんな上演を目指します。

ストーリー

エンジニアの仕事を辞め、街をぶらつく“創造主”は、道端にフロッピーディスクが落ちているのを見つける。保存されていた野良のプログラムを起動すると、“創造主”の前に部屋が現れる。創造主によれば、その部屋は「みどりのいえ」なのだという。「みどりのいえ」ではこだわりの強い“惑星”、何事にも興味のなさそうな“鳩”、どうやら精神的に病んでいるらしい“先生”の会話が展開される。ほどなくして、“ビニール袋”がやってくる。どうやら「みどりのいえ」に偶然にも迷い込んだらしい。「みどりのいえ」の住人と会話を重ねる中で、実は“ビニール袋”はこの部屋を崩壊させるバグであることが判明する。バグにより機能を停止していく“創造主”。そんな彼を尻目に、“ビニール袋”は新たにやってきた“白シャツ”と問答を始める。問答の結果、“創造主”は二人によってまとめられ、どこかに運ばれていく。空白になった舞台に“構成員”がやってくる。“構成員”の語りから浮かび上がってくるのは、“構成員”は“創造主”の別の可能性なのかもしれないということ。やがて「みどりのいえ」は崩壊する。

――目の前にある「現実」を見つめるために――
『ウォーターフォールを追いかけて』ステイトメント(カゲヤマ気象台)

『ウォーターフォールを追いかけて』は、私たちの直面している「現実」を描き出すための演劇です。これは、かつてのリアリズム演劇――写実的に描かれた個人の心理や行動を、「第四の壁」の向こうから観察する、人生の実験場としての演劇――に範をとっています。リアリズム演劇において、観客は自分と等しい一個人を目撃し、その人物と同調しながら一連のドラマを体験し、最後には自分の生を同じ「現実」として振り返りつつ、それに向き合うことができます。約150年前に出発したリアリズム演劇は、戦後の近代批判の風潮の中で乗り越えられるべきものとされました。しかしまさに今現在私たちの目の前に置かれた「現実」を描き出すためには、改めて過去のリアリズムの方法論を見つめ直しつつ、更新するような「新しいリアリズム」が有効なのではないか。そのための試みがこの『ウォーターフォールを追いかけて』です。

前提となっているのは、「現実」の断片化し、散らばった姿です。もはやリアル/ウェブの二項対立は崩れ、匿名と顕名を横断し、複数のアイデンティティを抱えながら生きる我々は、一貫した生を保持できずにばらばらに拡散しています。この、繋ぎ止めるものの希薄な世界の中で、感情や欲望は強く駆動して我々の言動や消費活動、時には考え方そのものにすら影響を与えます。その力は精神を抑圧し、健康を害したり、時には犯罪を誘発させます。断片化した「現実」には論理がないようにも見えます。「なぜこうなっているのか、誰も説明できないし、誰も望んでいるわけでもないのに、なぜかこうなっている」のが、この「現実」の姿です。

『ウォーターフォールを追いかけて』で描かれているのは、そんな「現実」です。このドラマの中で行われるあらゆる行動は、かつてのドラマのように世界を揺るがしたり、変革させたりはしません。すべてはただ「現実」の中に取り込まれてしまいます。「現実」はそもそも不定形であり、アメーバのように姿を変えます。たまたまうまくいっているように見えても、それはあくまで偶然の姿であり、次の瞬間にはまったく違ったものに変わっているかもしれません。この世界の中では、一貫性を保つことは難しい。可能なのは、次々に押し寄せる感情や欲望、不条理を乗りこなしつつ、その先の風景を受け入れていくことでしょう。

一貫した人間に即したドラマがかつてのリアリズムなのだとすれば、「新しいリアリズム」としての演劇である『ウォーターフォールを追いかけて』は、一貫せず、断片的であったり矛盾したりする、まさに今の「現実」に即した形をとっています。奇妙でありつつ、しかしそれはどこか知っているような奇妙さかもしれません。私が期待するのは、かつてのリアリズム演劇と同じように、観客がこれに同調をしてくれること、そしてその先に自分の生を同じ「現実」として振り返り、しみじみと感じ入ってくれることです。

メンバー

原案 ドラマゼミメンバー(カゲヤマ気象台*片山さなみ中西空立マツモトタクロウ

カゲヤマ気象台

1988年静岡県浜松市生まれ。早稲田大学第一文学部卒。東京と浜松の二都市を拠点として活動する。 2008年に演劇プロジェクト「sons wo:」を設立。劇作・演出・音響デザインを手がける。2018年より「円盤に乗る派」に改名。2013年、『野良猫の首輪』でフェスティバル/トーキョー13公募プログラムに参加。2015年度よりセゾン文化財団ジュニア・フェロー。2017年に『シティⅢ』で第17回AAF戯曲賞大賞受賞。

片山さなみ

2020年1月まで劇団てあとろ50'に所属し、俳優、制作として活動。『うっかり!ハッピーエンド』、『夏じゃなくてお前のせい』(モミジノハナ)等に出演。現在は会社員。

中西空立

早稲田大学文学部日本語日本文学コース3年。劇団木霊3年代照明スタッフ。
2020年度劇団木霊本公演『トランス』作・演出。
言葉とアンチョビが好き。

マツモトタクロウ

早稲田大学文化構想学部卒業。matawa所属。大学進学とともに演劇活動を開始し、主に劇作・演出を手がける。中高時代より映画への関心が強く、中でも寺山修司やアレハンドロ・ホドロフスキーなどからは多大な影響を受けている。

脚本・演出 カゲヤマ気象台*

カゲヤマ気象台

1988年静岡県浜松市生まれ。早稲田大学第一文学部卒。東京と浜松の二都市を拠点として活動する。 2008年に演劇プロジェクト「sons wo:」を設立。劇作・演出・音響デザインを手がける。2018年より「円盤に乗る派」に改名。2013年、『野良猫の首輪』でフェスティバル/トーキョー13公募プログラムに参加。2015年度よりセゾン文化財団ジュニア・フェロー。2017年に『シティⅢ』で第17回AAF戯曲賞大賞受賞。

出演 小山薫子(ままごと)キヨスヨネスク立蔵葉子(青年団、梨茄子)西山真来(青年団)畠山峻*日和下駄*

小山薫子

1995年生まれ。俳優。劇団ままごとに所属し、「ツアー」「反復かつ連続」などに出演。俳優2人による劇ユニットhumunusを結成し、「海足を踏めない」「し/ま」などを創作し上演。現在は福島県富岡町での活動も行なっている。身体の存在のさせ方によって風景がより浮かび上がって見えてくる作用を、様々な場所と声・身体の関係から試行している。円盤に乗る派は「正気を保つために」「流刑地エウロパ(再演)」に出演。

キヨスヨネスク

1992年生まれ。俳優。劇ユニット「humunus」結成。声と身体の関係から、風景とそれらを構成する"空間の肌理"をいかに「うつし」「かたどる」かをテーマに活動。現在福島県富岡町に拠点を構え、リサーチと創作を行っている。
主な出演作に、KUNIO14「水の駅」、円盤に乗る派「清潔でとても明るい場所を」、ホモフィクタス「灰と,灰の灰」、humunus「海足を踏めない」など。

立蔵葉子

俳優、梨茄子主宰。所属する劇団青年団では『サンタクロース会議』『忠臣蔵・OL編』『さよならだけが人生か』などに、青年団の他には五反田団、木ノ下歌舞伎などに出演する。円盤に乗る派への出演は『正気を保つために』に続き2回目。主宰する創作用ユニット梨茄子ではパフォーマンス『この部屋の重力』『その実ができるまで』『「丁寧な生活/サヨナラ」展』を発表。日々、短歌やメールマガジンを作っている。
https://note.com/nashinasu

西山真来

京都の「象、鯨。」という劇団で作・演出をやってました。解散後は俳優として映画や演劇に出演しています。近作は映画「なんのちゃんの第二次世界大戦」「れいこいるか」「スパイの妻」や、マレビトの会「グッドモーニング」犬飼勝哉「ノーマル」モメラス「反復と循環に付随するぼんやりの冒険」などの演劇作品です。カゲヤマ作品は「幸福な島の誕生」に続いて2回目です!

畠山峻

1987年北海道札幌市生まれ。舞台芸術学院演劇部本科卒。俳優としてブルーノプロデュース、20歳の国、亜人間都市などの作品に出演。カゲヤマ気象台の作品では『おはようクラブ』『野生のカフカ@おいしいカレー』『流刑地エウロパ』などに出演。演劇ユニットpeople太では演出をしています。
https://t.co/8zLKaMfpQW?amp=1

日和下駄

1995年鳥取県生まれ。2019年より円盤に乗る派に参加。以降のすべての作品に出演。特技は料理、木登り、整理整頓、人を褒めること。人が集まって美味しいご飯を食べることが好き。下駄と美味しんぼに詳しい。

音楽・illustration AOTQ

AOTQ

絵や音楽を作ってインターネットで発表している。
https://aotq.bandcamp.com
https://aotq.net

舞台監督 鐘築隼

鐘築隼

1995年生まれ、大学中退後、一般企業に就職するも2週間余りで辞職。その後はフリーランスとして主に小劇場や小スタジオなどでの演劇公演やダンス公演の舞台監督を務める。最近では枠に囚われ過ぎない仕事のやり方を模索中。

空間設計 瀬田直樹

瀬田直樹

1995年生まれ。埼玉県出身。
大学で建築の意匠設計を専攻する。卒業後設計事務所就職。
「なりきり」をテーマに身体と空間とまちの関係性を模索。
見えるものも、見えないものも、丁寧に着目し、空間を設計していく。

舞台美術 小駒豪

小駒豪

1983年東京生まれ

演劇などの舞台美術や照明を中心に、 店舗内装など、分野問わず、 設計および、製作をやっています。

武蔵野美術大学卒業後、 飴屋法水、生西康典の現場に、主にスタッフとして関わる。 近年は、武本拓也、情熱のフラミンゴ、などの現場で照明や舞台美術を担当。

照明 みなみあかり(ACoRD)

みなみあかり

舞台照明家。ACoRD代表。舞台照明デザイナー。
遅れて迎えた思春期を謳歌している人。演劇を中心にミュージカル・バレエ、エンタメなどジャンルにとらわれず作品に光を灯す。バーチャルステージや京都劇場へも進出し、まだまだ新しい世界が見たい今日この頃。
円盤に乗る派では「清潔でとても明るい場所を」「流刑地エウロパ」などの照明デザインを担当
Twitter/Instagram:@akariMinami

照明補佐 佐伯香奈(LST)

佐伯香奈

大学在学中に舞台照明や映像照明を学ぶ。
卒業後LSTに所属しながらフリーランスに活動中。
主に小劇場やホール、イベントなどの照明オペレーションやピンスポットを扱う。

音響 カゲヤマ気象台*

カゲヤマ気象台

1988年静岡県浜松市生まれ。早稲田大学第一文学部卒。東京と浜松の二都市を拠点として活動する。 2008年に演劇プロジェクト「sons wo:」を設立。劇作・演出・音響デザインを手がける。2018年より「円盤に乗る派」に改名。2013年、『野良猫の首輪』でフェスティバル/トーキョー13公募プログラムに参加。2015年度よりセゾン文化財団ジュニア・フェロー。2017年に『シティⅢ』で第17回AAF戯曲賞大賞受賞。

衣装 蜂巣もも(グループ・野原/青年団演出部)永瀬泰生(隣屋)

蜂巣もも

1989年生まれ。京都出身。演出家。
2013年からより多くの劇作家、俳優に出会うため上京し、青年団演出部に所属。 また、庭師ジル・クレマンが『動いている庭』で提唱する新しい環境観に感銘を受け、岩井由紀子、串尾一輝、渡邊織音らと「グループ・野原」を立ち上げる。
演劇/戯曲を庭と捉え、俳優の身体や言葉が強く生きる場として舞台上の「政治」を思考し、演出を手がける。円盤に乗る派、鳥公園にも参加し、演出、創作環境のブラッシュアップをともに考える。

永瀬泰生

1995年生まれ。大阪出身。
衣裳家・俳優として活動。演劇をつくる団体「隣屋」所属。
国内外カンパニーの衣裳デザイン・製作・アシスタントなど。
舞台上でリアルタイムで作品製作をするライブソーイングや、作品に関連したグッズ製作も行う。

デザイン 大田拓未

大田拓未

1988年東京都生まれ。アートディレクター/グラフィックデザイナー。国内外でエディトリアル、音楽、ファッションなど多方面にて活動中。最近の仕事に「magazine ii(まがじんに)」アートディレクション、YOASOBI「三原色」ジャケットデザインなど。

写真 濱田晋

濱田晋

1987年 兵庫県生まれ。 主にポートレイト・ドキュメンタリー・取材の分野で撮影を行うほか、年に数回の展示と作品集の発行を継続中。
shinhamada.com

STONE編集 黒木晃

黒木晃

1988年東京都荒川区生まれ。編集者。出版プロジェクト「Curtain」編集・発行人。

ライター 住本麻子

住本麻子

1989年生まれ、福岡県出身。ライター。文芸誌やカルチャー媒体を中心に、インタビューや対談の構成、論考などを発表。企画・インタビュー・構成で関わったものにwezzyの「表現と自由」特集、構成に「飛浩隆×高山羽根子「ディストピア小説の主人公とは誰か 嫌(いや)視点の作り方」」(『文藝』2021年春季号)、論考に「傍観者とサバルタンの漫才-富岡多惠子論」(『群像』2021年7月号)などがある。

レポーター 佐藤朋子

佐藤朋子

1990年長野県生まれ、神奈川県在住。2018年東京藝術大学大学院映像研究科メディア映像専攻修了。レクチャーの形式を用いた「語り」の芸術実践を行っている。近年の活動に、《オバケ東京のためのインデックス》(シアターコモンズ, 2021-)《TWO PRIVATE ROOMS ― 往復朗読》(theca, ウェブサイト, 2020-)《MINE EXPOSURES》(個展, BIYONG POINT, 2019)《The Reversed Song, A Lecture on “Shiro-Kitsune (The White Fox)“》(2018-)など。
WEB|http://tomokosato.info/

記録映像 佐藤駿

佐藤駿

1990年生まれ。俳優・映像ディレクター。大学在学中より映画制作や出演を始める。撮影を担当した『Sugar Baby』(隈元博樹監督、2010)が水戸短編映像祭審査員奨励賞受賞。2016年ごろよりパフォーミングアーツをつくる集まりとして「犬など」をはじめる。以降、演劇などへの出演多数。身体を内側から観察する俳優と、身体を外側から観察する映像制作の間で、演じることの問題について考えている。最近の主な出演に、屋根裏ハイツ『ここは出口ではない』、円盤に乗る派『流刑地エウロパ』など。

制作統括 河野遥(ヌトミック)

河野遥

1996年生まれ。国立音楽大学音楽文化教育学科卒。ヌトミック所属。制作として所属団体のほか、小劇場を中心に活動する劇団やユニットの公演制作を複数つとめる。円盤に乗る派はこれまでに、「清潔でとても明るい場所を」「流刑地エウロパ」等に参加。

制作 金森千紘

金森千紘

1981年東京都生まれ。大学で建築を学んだ後、美術書の企画営業、ポラロイドフィルムの再生産プロジェクトに従事。現代美術のギャラリーに勤務後、現在は、フリーランスでアーティストのマネージメント、展覧会企画などをメインに活動。

当日運営 黒澤たける

黒澤たける

1990年生まれ。フリーランスの制作として商業から現代演劇まで幅広いマネジメントを行う。大学で現代ビジネスを学び、舞台芸術の制作業務に応用している。

企画 カゲヤマ気象台*日和下駄*

カゲヤマ気象台

1988年静岡県浜松市生まれ。早稲田大学第一文学部卒。東京と浜松の二都市を拠点として活動する。 2008年に演劇プロジェクト「sons wo:」を設立。劇作・演出・音響デザインを手がける。2018年より「円盤に乗る派」に改名。2013年、『野良猫の首輪』でフェスティバル/トーキョー13公募プログラムに参加。2015年度よりセゾン文化財団ジュニア・フェロー。2017年に『シティⅢ』で第17回AAF戯曲賞大賞受賞。

日和下駄

1995年鳥取県生まれ。2019年より円盤に乗る派に参加。以降のすべての作品に出演。特技は料理、木登り、整理整頓、人を褒めること。人が集まって美味しいご飯を食べることが好き。下駄と美味しんぼに詳しい。

*=円盤に乗る派プロジェクトチーム

開演日時

2021年10月

14:00 18:00 19:30
27日(水) 🌟
28日(木) 🌟 🌟
29日(金) 🌟 🌟
30日(土) 🌟 🌟
31日(日) 🌟

※受付開始・開場は開演の30分前
※上演時間:70分(予定)

会場

STスポット

〒220-0004
横浜市西区北幸1-11-15横浜STビルB1F
https://stspot.jp/

チケット料金

前売
一般:¥3,000 / U25:¥2,000

当日
一律:¥3,500

※日時指定・全席自由
※未就学児童はご入場いただけません。

ご予約

円盤に乗る派shop

【予約開始:8月1日(日)20:00】
※クレジットカードもしくはコンビニ決済での事前入金のみとなります。別途、2%の発券手数料(コンビニ決済の場合は+200円)がかかります。
※U25料金でご予約のお客様は、当日受付にてご年齢が確認できる証明書をご提示ください。

感染症対策について

主催:円盤に乗る派
文化庁「ARTS for the future!」補助対象事業(リクリエイションを除く)

お問い合わせ
MAIL:info@noruha.net

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